この記事の要点
- 青森から仙台まで、奥羽本線・東北本線の各駅停車を乗り継いだ三日間の記録。総乗車時間は約十八時間。
- 新幹線で二時間二十分の区間を、運賃で四分の一、所要時間で七倍超かけて移動した編集部の覚書。
- JR東日本の公表時刻表に基づくダイヤと、現地で確かめた接続待ち時間の差を併記。
- 沿線の三つの駅(碇ヶ関・大曲・古川)で見えた、人口減少地域の駅構内の現況。
十一月二日、青森駅。五時四十分発の奥羽本線・秋田行きに乗るためには、駅前ホテルを五時十五分に出る必要がある。気温は摂氏二度、風が強い。改札を通ると、ホームに立っていた乗客は十四人だった。観光客らしい姿は二人。あとは沿線の通勤・通学客と推測される顔ぶれである。
本稿は、新幹線で青森から仙台まで二時間二十分の区間を、各駅停車だけで三日間かけて移動した記録である。目的は単純で、車窓を通過する速度を落とすこと——それだけだった。
奥羽本線・碇ヶ関にて、待ち時間五十二分
青森を出た列車は、新青森、津軽新城、津軽宮田と止まりながら南下する。三十分ほどで弘前。弘前で乗り継ぎ、さらに大鰐温泉を過ぎると、間もなく碇ヶ関に着く。九時十三分着、次の南行き列車は十時五分発。五十二分の待ち時間が生まれる。
駅舎は無人化されていた。JR東日本盛岡支社の公表資料によれば、奥羽本線青森・秋田間の無人駅は二〇二〇年代以降、段階的に増えているという。ホームに出ると、改修されたばかりの待合室があり、地元の小学生が描いたらしい絵が掲示されていた。「碇ヶ関の関所跡」「ぬるい温泉」「リンゴ畑」——絵の題材は三つ繰り返されていた。
関所跡まで歩いて十分。津軽藩と秋田藩を分ける藩境の関所で、江戸期には参勤交代の通過点だった。五街道の物語からは外れる脇街道だが、奥羽路の要衝として『街道の日本史』(吉川弘文館)にも一章が割かれている。雪囲いの始まった石垣が、十一月の北風に晒されていた。
秋田から新庄へ、車掌のいない車内
秋田で乗り換え、奥羽本線を南下する。湯沢、横手、大曲。大曲は花火大会で全国的に知られるが、十一月の駅前は静かで、観光案内所の窓口は十六時に閉まると貼り紙が出ていた。
この区間の列車は、ワンマン運転だった。車掌が乗らず、運転士が両端の扉操作と運賃収受を兼ねる。乗客は終始、私を含めて六人を超えなかった。一方、車窓は変わり続ける。横手盆地に入ると田畑の色が灰色になり、雄物川に沿って山が迫る。新庄に着く頃には、すでに十六時を回り、外は薄暗かった。
新庄で奥羽本線の支線(陸羽東線)に乗り換える。山形新幹線(山形—新庄)はここで終点だが、陸羽東線はそこから古川へと東に折れ、東北本線に合流する。新幹線では繋がっていない経路を、在来線は今も結んでいる。もっとも、その本数は一日数本である。
新庄駅の時刻表で、陸羽東線・古川行きは午前二本、午後三本、夜一本だった。新幹線駅と在来線駅の本数差を眼前に並べると、観光と通学・通院という乗客像の違いがそのまま現れる。
古川で見た東北本線、そして仙台へ
陸羽東線の旅は、鳴子温泉を経由する。鳴子は奥州街道の宿場として古くから知られ、十一月初旬は紅葉の最終週にあたる。観光庁の公表する宿泊統計でも、東北の宿泊者数は十一月第一週に小ピークがある。車内に観光客が増えるのも、ちょうどこの区間からだった。
古川到着は十八時を回っていた。古川は東北新幹線停車駅であり、在来線(東北本線)との接続駅でもある。新幹線のホームを横目に、東北本線・仙台行きに乗り換える。仙台までの所要時間は約四十五分。各駅に止まりながら、車内には次第に通勤帰りの乗客が増えていく。
ただし、車内の風景は青森や秋田で見たそれとは違った。座席に空きが少ない。会話が聞こえる。各駅で人の入れ替わりがある。仙台に近づくにつれ、人口の密度が車内に直接現れるようになる。北上線・大船渡線・気仙沼線——東北の在来線が抱える事情と、仙台都市圏の通勤事情は、同じ「東北本線」の名のもとで、明らかに二つの輪郭を持っている。
三日間で確かめたこと
新幹線が青森・仙台を二時間二十分で結ぶのに対し、各駅停車の合計乗車時間は十八時間に近かった。運賃は青森—仙台の新幹線特急券+乗車券で約一万二千円(JR東日本公表額、二〇二〇年代後半時点)、対して在来線乗り継ぎは約四千円台。所要時間で七倍超、運賃で約三分の一である。
裏を返せば、新幹線は時間を買い、在来線は車窓を買う。沿線の無人駅、ワンマン運転、待ち時間、紅葉の薄暗さ、夕方の通勤客——これらは時刻表の上では「総所要時間」として圧縮されてしまう情報である。日本海側の漁村でも同じことが起きているが、東北の場合、それが「沿線」という細い線の形で現れるのが特徴だった。地誌としての東北は、新幹線駅と新幹線駅のあいだに、まだ確かに残っている。