この記事の要点
- 中山道・木曽路の馬籠宿から妻籠宿まで、約八キロを歩いた半日の記録。標高差は約三〇〇メートル。
- 江戸期の五街道のうち、現代に最も「歩ける」状態で残っている区間として知られる馬籠—妻籠間の現況。
- 「妻籠を守る住民憲章」(一九七〇年代制定)が形成した、保存と日常生活の両立モデル。
- 外国人観光客の比率が高い区間として、地元自治体と観光協会が運用する「荷物前送りサービス」など現代の運用。
馬籠峠の頂上、標高八〇〇メートル付近、十月二十一日午前十時。気温は摂氏十二度、風は北寄り、薄い雲が出ている。峠の茶屋の前で、欧米系と思われる団体客が休憩している。スイス・ドイツ・カナダ——聞こえてくる言葉から、出身国がいくつか推測できる。看板に書かれた「Nakasendo Trail」の表記の下に、英語・中国語・韓国語・スペイン語の説明が並ぶ。
本稿は、岐阜県中津川市馬籠宿から長野県南木曽町妻籠宿まで、中山道の旧道を徒歩で歩いた半日の記録である。距離は約八キロ、所要時間は休憩込みで三時間半。標高差は馬籠側が高く、馬籠—峠の登りが約二〇〇メートル、峠—妻籠の下りが約三〇〇メートル。
馬籠宿、坂の上の宿場町
馬籠宿は、急な石畳の坂道の両側に町並みが並ぶ。明治の大火と平成の火事で建物の多くは再建されており、町並み全体は近現代の復元・補修である(中津川市公表観光資料)。それでも、街道筋の宿場としての街路の形状と、宿の並びの構造は江戸期の絵図と一致する。
馬籠を出て北上すると、間もなく石畳の道は土の道に変わる。山中の道に入って約十分、最初の見どころは石仏群である。中山道の各宿場間には、道中安全の祈願として街道沿いに石仏や道祖神が立てられた歴史がある(『街道の日本史』吉川弘文館)。馬籠—妻籠間でも、二〇か所以上の石仏・道標が確認されている。
歩いていると、欧米系の歩行者と頻繁にすれ違う。観光庁の公表する「訪日外国人 主要観光地別 訪問率」では、木曽路の馬籠—妻籠区間が中部地域で上位に入る。コロナ禍前の二〇一〇年代後半から、欧米系の歩行者比率が高い区間として知られている。
男滝・女滝、峠の中腹で
馬籠峠から少し下ると、男滝・女滝という二つの小さな滝がある。落差はそれぞれ十メートルほど、水量は秋の渇水期で多くはないが、街道の旅人にとって長く休憩地点として知られてきた。江戸期の旅日記(『木曾道中記』ほか)にも、この滝で水を補給したという記述が残る。
滝の前で休憩していると、英語のガイドツアーが入ってきた。ガイドが地形と歴史を説明し、参加者がメモを取る。「五街道のなかで、最も保存状態がよい区間」という英語の説明が聞こえる。東海道と比較すると、確かに馬籠—妻籠は街道としての歩行体験を再現できる例外的な区間である。東海道の宿場の多くは、戦後の国道整備と都市化のなかで街道の道筋が分断された。
馬籠—妻籠が歩けるのは偶然ではない。妻籠宿の住民が一九七〇年代に「売らない・貸さない・壊さない」の三原則を含む憲章を制定し、街道の景観を住民自治で守ってきた結果である。
妻籠宿、住民憲章が支える「日常としての保存」
妻籠宿に着いたのは午後一時半。馬籠よりも町並みは低く、平坦な敷地に宿場が広がる。建物のほとんどは、住民が現在も実際に居住する家屋である。観光地化されていながら、生活道路としての街路機能を維持しているのが妻籠の特徴である。
南木曽町と長野県の公表資料によれば、妻籠の保存活動は一九六八年からの「妻籠を愛する会」、一九七一年の「妻籠宿保存条例」、一九七三年の「住民憲章」と段階を踏んで制度化された。憲章は「売らない・貸さない・壊さない」の三原則を基本とし、建物の改修・新築・店舗運営に住民間の合意形成を求める内容になっている。
もっとも、こうした保存モデルは住民の世代交代と共に変質する可能性を抱える。長期取材を行った民俗学者の論文や、地元紙の特集記事でも、近年の継承課題が繰り返し指摘されている。観光客が増える一方で、住民の高齢化と次世代の他出が同時に進む——日本海側の漁村集落と類似する人口動態のなかで、住民憲章が「地域の合意」として今後どう更新されるかは、外部からは見えにくい。
八キロ、三百年、現代
馬籠—妻籠の八キロは、地理的にはささやかな距離である。しかし、その八キロが歩ける状態で残っているのは、街道の歴史的価値だけではなく、戦後の保存運動と、現代の観光導線設計と、住民の日常的な選択が積み重なった結果である。姫路城の平成大修理のような大規模な文化財事業とは異なる、もっと細かい単位の保存の作法である。
裏を返せば、「江戸期の街道がそのまま残っている」というフレーズは、半分しか正確ではない。残っているのは、保存と更新を選択し続けてきた現代の住民の意思である。それは、文化財化された静的な遺構というよりも、動き続けている地誌の現在形である。馬籠で別れた団体客と、妻籠の宿に到着して再び会ったとき、八キロの歩行が地理的距離以上の何かを共有させていた——そんな感覚で、私もまた旅の表情を更新して帰路についた。